大学進学のためアメリカへ
2000年の7月頃だったと思います。アメリカへ再渡米するために成田国際空港に向かいました。家族の見送りでセキュリティゲートをくぐってしまえばしばらく日本には帰れません。その時生まれたばかりの姪っ子がかわいくて名残惜しかったのを思い出します。
フロリダ州オーランドに到着し、外に出ると湿度の高さに驚かされました。気候は年中温暖で冬でもTシャツ一枚で過ごせるくらい暖かい場所です。住まいは、オフキャンパスの学生寮に申し込んでいたのでそこに入るのですが、個室がなく部屋にはベッドが間隔を空けて二つあり、ルームメイトとシェアをするというものでした。なのでルームメイトのいびきが酷いと眠れないし、これが、本当にきつかった。2年はその寮に住みましたが、その後はキャンパスから離れてシェアハウスを借りて複数の日本人留学生と生活することにしました。
大学は、University of Central Floridaというマンモス校で学生数は全米で2番目の規模だそうです。授業と授業の間の移動も広大な敷地なので大変でしたから、自転車を買ってそれで移動していました。中にはキックボードなんかで移動している学生もいました。
入学すると別に入学式なんてものはなくて、オリエンテーションということで授業の登録の仕方なんかを教わりました。そしてよく覚えているのは、留学生や英語力が低い移民系の学生たちにはコミュニティカレッジの英語のクラスを取ることになっていて、3学期以内にC以上の成績を収めなければ大学での学びは続けられませんよという通知を受け取っていたので、それはもう必死で勉強しました。特に、エッセイを書く授業は何度も何度も練習しました。そんなこんなで、無事に通過してアメリカの大学の授業を取っていくのですが、一般的に最初の2年間は一般教養を身につけるということで自分の専攻分野の学びにはまだ進めません。ただし、アメリカでは自分で授業を登録していくので、自分の能力の範囲であればいくらとってもいいですし、夏も授業はやっているので、そういった期間に授業を取って早く単位を取っていくことができます。
いくつか思い出話を書きたいと思います。
これは最初のセメスターでバイオロジー、生物を一般教養科目として取った時のことです。授業で何かレポートを提出しないといけないことがあって、それに関してはどうしていいかわからなかった私は、生物の授業が行われる建物の中のある場所にいつもいるアジア系の顔をした学生が気になっていたので、助けてもらおうと思い日本語で話しかけてしまいました。てっきり、日本人と思っていた彼は、韓国系アメリカ人でサムという名前でした。サムとはその後親しくなって家に泊まりに行ったりもしました。お父様がキリスト教の牧師で本人もクリスチャンだったので本当に良くしてもらいました。今でも元気にしているのかな?あの時は本当にありがとう!
アメリカの大学にはキリスト教の学生サークルがたくさん存在しており、親元を離れてきた学生を信仰面で支えています。そして毎週水曜日には賛美集会が大学内で開かれていて、そこに行ってワーシップを歌うのが最高に楽しかったです。他にもいくつもの団体と関わるようになり、3年目には知り合いのデーブさんという方が留学生に向けて伝道をしていてキャンパスで公に活動できるようにしたいということで私がプレジデントとなりFlorida International Student Hospitality通称F.I.S.H.を立ち上げました。このサークル活動に賛同してくれるアメリカ人のクリスチャン学生らと一緒に留学生と英語を話す練習をしたり、毎週金曜日には留学生を招待してデーブの家で食事をしながらアメリカの文化やキリスト教の話をするなどしていました。クリスチャンでない友達で仲良くなった人に、ヒスパニック系のジョージというのがいました。彼とは確か美術の授業で知り合ったような気がしますが、彼はキャンパスの中の寮に住んでいていつも冷房を効かした冷たい部屋で残酷なビジュアル効果でる格闘ゲームをして、スリップノットという気持ちの悪い面を被ったメタルバンドの音楽を流していました。彼とは、キャンパスのジムに行っては筋トレをしたり、ハワイアンピザを食べたりして、時には彼の美術の宿題を手伝って、その代わりに私の別の宿題を手伝ってもらったりしながら持ちつ持たれつで楽しくやっていました。
続く。