アメリカでの大学卒業後の話
さて、大学生活も慣れてきて3年目juniorになり自分の専攻majorを決める頃になりました。ちなみに大学1年をfreshman2年をsophomore 、4年をseniorと呼びます。当初は、グラフィックデザインを専攻したいと思っていましたが、定員が50人しかなくポートフォリオの提出があったため、あきらめて誰でも専攻できるInternet and Interactive Systemsを専攻しました。インターネットやコンピュータのテクノロジーについて満遍なく学びました。楽しかったのはを絵を描くdrawingや3Dモデリングの授業で上手くできなかったのはコンピュータプログラミングの授業でした。3年、4年となるとグループワークもやるようになり、ゲームエンジンという、ゲームをデザインする授業もありました。
結局自分は、Photoshopやイラストレーターの使い方をほぼ独学で覚えて、後にオーランドの小さな広告代理店で広告デザインや、情報誌のレイアウトをパソコンでやる仕事をするようになります。大学はなんとか無事に必要単位を取って卒業することができました。ちゃんと学士証書ももらいました。でも卒業式には出ませんでした。その時には既に人生の次の段階へ目を向けており卒業は通過点に過ぎないと思っていたんですね。それに、卒業後は就労ビザを取らないと一年後には帰国することになっていたので尚更浮かれる気持ちはなかったのです。
小さな代理店は就労ビザのスポンサーにはなってくれましたが、直ぐにはビザは取れなかったため、一年後にまた学生ビザに切り替えてコミュニティカレッジに通いました。そこで、またPhotoshopの使い方を学びました。こんなふうに学べるならコミュニティカレッジはありだなと感じました。最初から4大に進むのではなく、コミュニティカレッジに2年間通い、その後単位を移行して3、4年を大学で専攻科目を取る方が経済的なのです。私が大学に行ったのは23年前ですが、海外からの留学生は州外の学生なので一般的な授業料の4倍くらいは払わなければなりませんでした。当時は1クラスが3単位で1単位あたり300ドルとかで900ドルくらいですね。それを一学期に4クラスとるため3600ドルになります。今は授業料かなり高騰してます。円安でもありますし、授業料そのものが高くなってますね。
アメリカの生活を振り返ると、大変なこともたくさんありましたがやっぱり充実していましたね。公共バスの運転手と仲良くなったこともあります。洋書が好きになり、毎週本屋に行ったりもしました。仕事は途中で会社が2つに割れてしまい、自分はどうしたら良いのか困りましたがビザのために社長についていきました。結局社長はそのビジネスはたたまれたみたいですが、エネルギッシュでなかなかすごい女性でした。当時はアメリカに永住したくてきつい生活にも耐えてました。そういう経験ができたのは貴重な糧になったと思います。また何か思い出したら書いていこうと思います。
結局自分は、
小さな代理店は就労ビザのスポンサーにはなってくれましたが、
アメリカの生活を振り返ると、